さーかす書房 拍手のための朗読再考

リアル朗読会を成功に導く戦略

朗読演目「レトロ児童書」のススメ

さーかす書房店内朗読講座

大好評の『レトロ児童書を読もう』

をご紹介します

毎月第1.3金曜日10:30~12:00

月に2回の講座です

明日6/6金曜日!

新テキストに取組みます!



【レトロ児童書って?】

私が名づけた作品ジャンル「レトロ児童書」

明治から昭和初期までに出版された児童文学のことです

あくまでも私のネーミングですので

一般的に使用されているジャンル名ではありませんよ☆彡

 

【朗読のための選書】

朗読会のお客様は

耳だけでストーリーを追っていかなければなりません

つまり朗読は

お客様の方にかなりの能力が必要なのですね

読み手はついついここのところを忘れがちです

自身の技法や工夫のためのトレーニングに

頭がいっぱいになってしまうのです

朗読する側にのみ

たいへんな難しさがある

と言った感覚でしょうか?

 

朗読会の観客になったつもりで

少し想像してみてください

 

【漢語的な難解な言葉の頻度】

朗読演目を選ぶ場合

まず気を付けなくてはならないのが

言葉の難易度です

朗読演目が

いくら素晴らしい作品でありましても

今ではあまり使わない漢語的な言葉が

けっこうな頻度で登場する場合

テキストが手元にないと

耳だけでは何を示す言葉なのか把握できないものです

もっとわかりやすく言うと

聞いて その言葉の音を漢字に即座に変換できるか?

ってことですね

わからない言葉が連続すると

観客は聴く努力をお止めになります

 

【ストーリー展開にもたつきがないか】

人の集中力の持続時間はそう長くはありません

なので集中力が途切れてしまわないタイムリミットを

念頭において演目を選書しましょう

起承転結とよく言いますが

起承のところで

あまりにものんびりとしてしまうと

お客様はあくびなんですね

 

【わかりやすい山場】

山場であることが認識しやすい山場であるか?

これはとても大事です

物語の熱量が必要なのです

物語の熱量がお客様の共感の波動になるのです

つまり読み手には

熱量を届ける工夫が必要なのですね

熱量のうねりが

リアル朗読会の最大の魅力です

熱量 何回~ッ!

 

【なぜレトロ児童書なのか?】

つまり

・読書のための選書と

・朗読演目のための選書は

似て非なるものです

 

レトロ児童書は

前述の条件

つまり

朗読演目としての条件を

ほぼ完ぺきにクリアしている作品群です

・わかりやすい

と言うことは

子どもっぽくて幼稚な文言かつ内容では?

とお思いになったかもしれません

そうでないことが

レトロ児童書の大きな魅力です

文言が重厚なのです

いいかげんな言葉で綴られていないのですね

また描かれている内容が

日本の古典作品によるものが多いのです

これは時代と言うものが

大きく理由にありますが

もう一つは

まだ本が十二分に子どもたちに行き渡らない時代

読書の楽しさ

豊かな知識を

出来得る限り正しく伝えようと言った出版の気概

と言うものがあったように感じますね

例えばこの時代の児童書には

たいてい序文が記されていますが

本文に入る前に書かれている「はじめに」

と言った部分です

これからこの本を読むであろう子どもたちに

優しく語りかけています

登場人物の乗り越えたものを

どうぞ読み取ってくださいね

と言うような文言です

本が子供たちの

糧になりますように

と言った真摯な願いを感じます

 

【下村千秋『壇ノ浦の鬼火』】

明日6/6㈮

『レトロ児童書を読もう』

取組みます新テキストは

下村千秋『壇ノ浦の鬼火』

タイトルからお察しかと存知ますが

耳なし芳一」の物語です

この物語は

小泉八雲作品が非常に有名です

読書としても人気の作品でございますし

朗読に関しましても

聴く側にも読む側にも

たいへんに人気の

と言うか定番の演目でございますね

まことにもって素晴らしい作品です

下村千秋のものは

前述した条件をほぼ完ぺきに兼ね備えた

朗読のための作品

と申し上げてもよいかと存知ます

 

例えば冒頭部分

皆さん

是非読み比べてください

こちらが小泉八雲

 小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)

『耳無芳一の話』

冒頭 青空文庫より引用

七百年以上も昔の事、下ノ関海峡の壇ノ浦で、平家すなわち平族と、源氏すなわち源族との間の、永い争いの最後の戦闘が戦われた。この壇ノ浦で平家は、その一族の婦人子供ならびにその幼帝――今日安徳天皇として記憶されている――と共に、まったく滅亡した。そうしてその海と浜辺とは七百年間その怨霊に祟られていた……他の個処で私はそこに居る平家蟹という不思議な蟹の事を読者諸君に語った事があるが、それはその背中が人間の顔になっており、平家の武者の魂であると云われているのである。しかしその海岸一帯には、たくさん不思議な事が見聞きされる。闇夜には幾千となき幽霊火が、水うち際にふわふわさすらうか、もしくは波の上にちらちら飛ぶ――すなわち漁夫の呼んで鬼火すなわち魔の火と称する青白い光りである。そして風の立つ時には大きな叫び声が、戦の叫喚のように、海から聞えて来る。
 平家の人達は以前は今よりも遥かに焦慮もがいていた。夜、漕ぎ行く船のほとりに立ち顕れ、それを沈めようとし、また水泳する人をたえず待ち受けていては、それを引きずり込もうとするのである。これ等の死者を慰めるために建立されたのが、すなわち赤間ヶ関の仏教の御寺なる阿彌陀寺であったが、その墓地もまた、それに接して海岸に設けられた。そしてその墓地の内には入水された皇帝と、その歴歴の臣下との名を刻みつけた幾箇かの石碑が立てられ、かつそれ等の人々の霊のために、仏教の法会がそこで整然ちゃんと行われていたのである。この寺が建立され、その墓が出来てから以後、平家の人達は以前よりも禍いをする事が少くなった。しかしそれでもなお引き続いておりおり、怪しい事をするのではあった――彼等が完き平和を得ていなかった事の証拠として。

 

で こちらが下村千秋⇩

下村千秋

『壇ノ浦の鬼火』

冒頭 青空文庫より引用

     一

 天下てんか勢力せいりょくを一もんにあつめて、いばっていた平家へいけも、とうとう源氏げんじのためにほろぼされて、安徳天皇あんとくてんのうほうじて、だんうらのもくずときえてからというもの、この壇ノ浦いったいには、いろいろのふしぎなことがおこり、奇怪きかいなものが、あらわれるようになりました。
 海岸に、はいまわっているかにで、そのこうらが、いかにもうらみをのんだ無念むねんそうなひとの顔の形をしたものが、ぞろぞろとでるようになりました。これはたたかいにやぶれて、海のそこにしずんだ人びとが、残念ざんねんのあまり、そういうかにに、生まれかわってきたのだろうと、人びとはいいました。それで、これを「平家がに」とよび、いまでも、あのへんへいけば、このかにが、たくさん見られます。
 それからまた、月のないくらいよるには、この壇ノ浦の浜辺はまべや海の上に、かずしれぬ鬼火おにび、――めろめろとしたあおが音もなくとびまわり、すこし風のある夜は、波の上から、源氏げんじ平家へいけとがたたかったときの、なんともいわれない戦争せんそうの物音が聞えてきました。また、そうした夜など、舟でこの海をわたろうとすると、いくつもの黒いかげが波の上にうかびあがり、舟のまわりにあつまってきてその舟をしずめようとしました。
 土地の人びとは、もう夜になると海をわたることはもちろん、海岸かいがんへ出ることさえできなくなりました。しかし、それではこまるというので、みんなよって相談そうだんをして、だんうらの近くの赤間あかませき(今の下関しものせき)に安徳天皇あんとくてんのうのみささぎと平家一門へいけいちもんはかをつくりました。それからそのそばに、あみだ寺をたてて、とくの高いぼうさんを、そこにすまわせ、あさゆうにおきょうをあげていただいて、海のそこにしずんだ人びとのれいをなぐさめました。
 それからというもの、あお鬼火おにびも、戦争の物音ものおとも、舟をしずめる黒いかげも、あらわれなくなりました。しかしまだときどき、ふしぎなことがおこりました。平家の人びとのれいは、まだじゅうぶんには、なぐさめられなかったとみえます。つぎの物語ものがたりはこのふしぎなことのひとつであります。 

 

いかがでしょうか?

 

つまるところ

読み手・聴き手の好みです

耳だけで言葉を追っていくとして

どちらがわかりやすいでしょう?

 

作品の良し悪しを言うのでは決してありません

もちろんです

どちらも

言うまでもなく

名作中の名作です

 

聴いたときにどうか?

と言った視点を持つことも

朗読トレーニングとして

必要かもしれません

と言うご提案です

 

 

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追記

ありがとうございます!

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