素晴らしいから素晴しさを伝える工夫は要らないのか?案件
🔳前回までのおはなし
朗読を学ぶメリットが
朗読講座の集客文言となりますね
と言うお話を進めて参りました
朗読学習には様々な効用がございます
最近では
健康維持要素が注目されています
数ある効用の中で
何を一番にPRするかは
講師が目指している朗読タイプによって変わります
コロナ禍以後
自分磨きのスキルとしての朗読
と言った捉え方がより一層増えた様に感じますね
さて
朗読は読書好き人間のサークルととらえられがち
でございます
もちろん そう言った傾向がございます
本を読まないことには始まらない作業でございますから
ところが
読書好きが朗読上手に直結するかと申しますと
少々ムズカシイところがございます
むしろ
読書と朗読は別物
と言った認識をお持ちの方の方が
朗読の上達が早いのでございますよ
・読書は一人遊び
・朗読はお客様のためのもの
私:さーかす書房朗読講座では
常日頃
「朗読は読書と似て非なるもの」
とお伝えしております
前回は
読書と朗読の関係性についていろいろにお話し致しました
今回は
朗読と文学
と言うお題で少しばかりお話ししてみようと存知ます
🔳朗読はエンタメか文学か?
朗読は文学作品を読むのでございますから
文学
であるのは当然至極ではございます
が
朗読の場合
文学を前面に押し出しますと
お客様は面白くないワケでございます
それならば
家でゆっくりと読書する方がよっぽどしっくりくるワケでございますね
読書とは違った面白さをお客様にご提示しないことには
朗読で作品を知るメリットはほぼございません
では
朗読が読書とは違う要素とは?
それはもちろんエンタメってことでございますね
でなければ
わざわざ
お客様に足を運んでいただく必要はございませんでしょう
文学作品をおもしろおかしく演じましょう
と言うのでは全くありません
作者が精魂込めて
そこには編集者の並々ならぬ努力もございます
書き上げました作品でございます
一言一句とも変えてはいけません
が
文言だけを正しく読めばよろしいのか?
作品をを正しく伝えることを本分とするならば
むしろ
内容を正しくお客様に伝えることが最優先されるべきでございますね
もっと簡単に申し上げますと
作品の面白さをお伝えする
でございますね
作者・作品への敬意を忘れず
読み解く自身と言うフィルターがあるとしても
出来るだけ作者の意図に添うつもりで丁寧に読解を試みる
そこから
内容にふさわしい表現を模索し
最善と思われるものをお客様にご披露しましょう
と言うことでございます
🔳文学崇拝
作者・作品への敬意は忘れてはなりません
が
文学を崇拝するばかりに
お客様に物語を伝える工夫を怠けてしまう方がけっこうあるのでございます
怠ける
と申しますか
必要ないとお考えになっている
と申した方がよろしいのかもしれません
理屈はこうでございますね
文学と言うものは崇高で高尚なものである
特に純文学と言うものは…
であるから
もともと素晴らしいものに
何の手を加える必要があろうか?
完全な姿に下手に手を加えれば
その素晴らしさを壊すことになる
だから私は
ただ読むのだ
正しく読めばよいのだ
一言一句まちがえることなく!
それで伝わらぬと言うならば
美しさがわからぬと言うならば
それは受けとめる側に問題があろう
なぜならば
私はあくまでも正しく伝えたのだから
受けとめることが出来る人だけが集えばよろしい
朗読は高尚な集まりなのだから
ま こんなことをはっきりと言葉にして
お客様に発信する朗読家はいらっしゃいませんよ
ではございますが
はしばしに出てしまっているのでございますねぇ
・会のはじまりのごあいさつしかり
・お別れのごあいさつしかり
そして何より
・朗読のありようでございますね
🔳需要と供給
と申しましても
結局は需要と供給でございます
求められるように読むのが商いでございます
仕事として成立する朗読と申せましょう
高尚な文学
を求められたのならそうあるべきです
🔳再び「観客バリアフリー」について
ただ
私:さーかす書房が目標と致しておりますのが
広く多くの方に楽しんでいただける朗読でございます
広く多くの方 には
もちろん高尚な方々も含まれておりますよ
それには とにもかくにも
・作者・作品への敬意
それはつまりは
・丁寧な読解
と言うことでございました
からの
・作品内容に見合った表現
でございますね
お客様が物語に出来るだけ没頭していただくための工夫を精一杯やってみましょう
と言うことでございますね
つまりこれが
お客様を選ばない朗読と申せましょう
🔳作品の深刻さに引っ張られ過ぎないことです
文学崇拝型の朗読家の方の多くは
どうしても
作品内容の深刻さに引きずられ過ぎるきらいがございますね
選書もまた そう言った傾向にございますねぇ
明るい声を出すことが作品への冒涜である
とでも お感じになっているのでございましょうか?
ただ私が思いますに
作者は
読者(朗読の場合は聴き手でございますが)に対して
陰気になってくれ
深刻になってくれ
とは思っておいでではないと存知ますよ
つまり
暗い気持ちでとどまることを目的とはなさっていない
と言うことでございますね
重い内容であるならばなおさら
それを受け止めつつも
じゃぁ どうする?
と 次のステージへ進むことを望んでおられるはずでございます
人間の叡智に懸ける と申せばよろしいでしょうか?
登場人物の過酷な運命を読みたどりながら
それでもなお 何かしらの希望はありはしないか?
と言ったところでございましょう
🔳壮大な物語であった!とお帰り頂くべきでございます
お客様がお帰りの際は
「なーんか 陰気なはなしで気が滅入っちゃたわ」
ではなく
「良かったッ!」
「いい話だった!」
と物語の壮大さを楽しんでいただく工夫
その工夫あってこその
エンタメでございましょうね
ゆめゆめ
朗読は文学に甘え切ってはなりませぬぞよ
と言うおはなしでございました
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